1984年怒涛の年に発売されたプロレスレコード、THE維新が結構凄かったんですが。

THE維新

1984年11月発売、長州力の闘いを記録したレコードTHE維新に数十年ぶりに針を落としてみました。
まだビデオが一般家庭に普及する前で、プロレスのレコード化にも需要があったのです。
この頃はアニメレコードにもドラマ編なんて言うのがあった時代ですね。

このTHE維新のレーベルはinvtationと言うところで、発売元はビクター音楽産業株式会社です。
ジャケットの中には二つ折りの片面カラーの解説が入っています。
維新軍の6名がカラー写真で紹介されていて、裏面はモノクロ、レコードの内容と長州力の簡単な経歴と維新軍の紹介が書いてあります。
構成はナレーションによる解説と古館伊知郎アナによる試合中継そして長州力アニマル浜口両選手のインタビューが入っています。

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ナレーションはあの舟橋慶一

A面冒頭オープニング、パワーホール(カバー)からナレーションに移行していきますが、そのナレーションを担当しているのが元テレビ朝日のアナウンサー、そして初期のプロレス実況アナウンサーであられる舟橋慶一氏です。心地よい音域、流れるような名調子で長州力の紹介がはじまります。
昭和48年度アマチュアレスリング、フリースタイル、グレコローマンスタイル両種目の100キロ級の日本選手権の覇者であり、また過去にミュンヘンオリンピック出場と言う輝かしい経歴を持つ吉田光雄は同年10月新日本プロレスに入門を果たし...。
57年4月に開催された第5回MSG終了後一念発起しメキシコに飛び...。その年の10月新日本プロレスのマットに戻ってきた。
長州力の入門から革命スタートまでをざっと紹介。この冒頭の下りだけでも聴く価値はあります。
そしてここから例の後楽園ホールの試合実況になり、古館伊知郎の実況が入ります。
さぁ先発は長州力でありましょうか?おーっと...。

B面最後のインタビューは必聴、プロレスの危険な暴走は良いのか?

私が特に注目したのがB面の最後、長州力アニマル浜口のインタビューです。
まずこれ、
「誰か言っていたんだけど俺たち応援してくれる人はひねくれ者が多いってね。」
まぁ私を含めそれは当たっています(汗)
そして凄いのが約2年間の自分達の革命を冷静に振り返るのです。
毎日緊張していて、ピリピリしていた。
特攻隊じゃないけどリングに上がるに死ぬつもりで行っていたと語るアニマル浜口
長州力は2年前のビデオを見てよくこんな事やっていたな、怖いなと思う。前なんて怖いなんて感じなかった。と語る。
そしてどうして反響を呼んだのか、と続ける。一つだけ言えるのはタブーと言われる技をやったため。
レスラーがタブーって決めたわけではないが、実際事故があって亡くなった選手とかいるので自然とやらなくなっていった。
別に暗黙の了解って事でも無い。
相手の体を最後までピンホールまで持って行く自信がないからやらなくなった
気付いたらそれまでやらなかった事をやっていた自分達。
そして続ける、パイルドライバーあれは酷いよな。
おそらく合体技のパイルドライバーをさしていると思われます。
考えてたわけじゃないけど、その頃自然にそういう立場になった時出しちゃったわけ。
あんなの以前やらなかったもんね、やっちゃいけないとかじゃなくて、やらないようにしてた。
最近なんてもっと酷いのは抱え上げてエルボーを落とす。
こんなの相手受け身とれない。それでもやっちゃった。
ファンも今まで見たことが無い物を目の当たりにしたから一気にヒートアップしちゃった。
歓声とかも凄かったね
だからあの頃は自分で自分じゃなかったね。と振り返る
勢いとファンの歓声が入り交じり流されて、技がどんどん過激になっていった自分達を怖いなと語ります。

現在もっと過激になっている今のプロレスラーにも一考してて頂きたい事ですね。
また本物のプロレスとか煽るファンもどうかと思います。

激動の1984年発売です

このTHE維新は革命戦士長州力1984年までの約2年分の軌道が詰まったレコードです。1984年11月発売という事は、その年のそれ以前に録音された物と推測されますが、この年の9月長州力ら数名は新日本プロレスを離脱して、ジャパンプロレスを結成します。12月に全日本マットを視察し翌1965年1月シリーズより全日本プロレスに参戦という激動な一年の中制作された貴重なレコードとなります。