追悼三沢光晴さん。

2009年の今日6月13日にプロレス界を激震させる事が起きました。三沢光晴選手が試合中のアクシデントによりリング上で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。受身の達人であった三沢選手、どうして、誰もが信じられませんでした。三沢選手の死について諸説ありますが、私の見解は四天王プロレスの結果だと思います。当時かなり興奮して四天王の試合を見ていましたが、やはりあのスタイルは凄すぎたんです。それまでの全日本プロレスのスタイルから急激に進化していきました。ファンも次第にそれを望むようになり、当たり前になってしまったのです。明るく、楽しく、激しいプロレス。打ち出したスタイルは想像もしなかった結果を生み出してしまいました。女子プロレスラープラム麻理子選手が亡くなった時、ダンプ松本選手が泣きながら、時代と共にプロレス技がどんどん過激になっていってしまったと語っていましたが、三沢選手達四天王も同じ状態だったのではないでしょうか。

三沢選手といえば二代目タイガーマスクの頃存在を知りました。それ以前の若手時代は全日本を見ていなかったので知りませんでした。私は元々新日本、維新軍のファンで全日本に戦いの場を移した時、小林邦明選手のライバルとして三沢タイガーを見ていました。三沢タイガーは当時からもう正体は明かしていたと言うか皆知っていましたし、本人もマスクを被らないで出歩く事もあったみたいですね。飯田市勤労者体育館で興行を行った時、体育館近くの龍峰(多分そんな店名だったと)で食事をしていたそうです。その時も素顔で、一緒にいたのは冬木選手。私の友達が観戦に行き、そこで遭遇したそうです。友達もファンであり、三沢選手も大好きな、武田鉄也の話をわざと聞こえるように話したら、ニコニコして見ていたそうです。なんか人柄がわかりますね。

試合ではやはり以前このブログでも記事にしましたが松本でのチャンピオンカーニバルの対小橋戦が思い出です。

三沢光晴さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

ミサワ、ミサワ。スパルタンXと共に永遠なれ!

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