長州力対天龍源一郎初対決 あれから30年

長州と天龍の初対決、30年前の今日だと思っていたら昨日でした。長州のエプロン上でのバックドロップ炸裂が印象的だった。

1984年9月長州は「俺達の戦いは明日の駒ヶ根で最後だ」記者達を前にこう宣言していたと言う。その後維新軍も正規軍も垣根が無くなるみたいなニュアンスだったみたいだが、実際は水面下で団体設立を模索していたのだ。私はその新日本駒ヶ根大会ブラディファイトシリーズを生観戦擦した。メインは猪木、藤波、木村組対長州、谷津、浜口組。もう最後には相応しいカードであった、しかし同じ頃突然現れた若松市政が率いるマシン軍が乱入し試合はぶち壊し、がっかりな結果となる。この日テレビ中継が有りとなっていたのだが、実はこの日は予備収録だった。当時ドームもなく雨が降り野球中継が出来ない場合のみに全国放送となる、また完全ネットでない一部の地方局はこの日プロレスを中継するのだ。長州は駒ヶ根大会は予備だと知らず発言していたらしい。もしこの日が予備収録でなかったら、私は歴史的な時間を生で体感できた事になる。

2日後の愛知大会(こっちは翌週完全な全国放送)で同じ対決をし維新軍は勝って新日本を去る。

翌週のプロレス誌の表紙を維新軍が独占した、新日本を出て独立し全日本のリングに上がる事になると報道。この時の驚きは今でもセンセーショナルで忘れられない。その年全日本の最終シリーズに長州等は大会を視察する、この時から一番燃えていたのが天龍源一郎であった。試合前も長州はどこに来ているんだとしきりに気にしていたらしい、煮え切らないジャンボには負かせられない全日本は俺が守る。それが天龍の決意であった。

長州の前に立ちはだかった天龍だったが、長州ファンの私からすれば天龍なんかには絶対負けないと思っていた。それは長州の当時の勢いが半端なかった事と私が全日本プロレスを良く知らなかったからである。そして行なわれた大阪城ホールでの初対決は長州のリングアウト勝ちで終る。この試合は当日?日本テレビの夕方のスポーツ番組で紹介されたが、当時地元のテレビ信州はテレビ朝日とのクロスネット中の為放送されず、ケーブルテレビもまだ加入前だったので見る事ができず、残念な思いをしたのを思い出す。

あんなに勢いがあった長州とそれを追いかけていた天龍、私は当時の長州が出していたプロレスオーラを超える物を出せる選手は今後簡単に出ないと思うが、30年と言う歳月は私の思いを変えていた、自分なりに沢山のプロレスを見てきたから言える、天龍源一郎、あんたはほんとMr.プロレスだぜ!と

天龍は今年引退、長州はTVバラエティに出始めた...。30年前の自分はこの状態をどう思うだろうか。