40年ぶりに伊那小学校に足を踏み入れた結果2 ~思い出~

私の伊那小の探索は続きます。

第一体育館の横の北校舎、この西側で私は立ち止まりました。
懐かしい非常階段。

私のクラスは一番端の教室でした。
その為休み時間には毎日非常階段を下まで降り、友達と二人で遊んでいました。

当時は階段下になぜかおおきな岩がおいてありました。

そこにまたがり遊んでいたのです。
ある時期まででしたが...。

 

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4年生の時クラス替えがありました。
元々人見知りな私は初日に不安いっぱいで登校しました。
下駄箱でクラス名を探し、自分の名前を探さなければいけません。
すると手前に現れた大きな体の男の子が、大きな声で叫んでいるのです。
「おーい〇組の下駄箱はどこだ?」
それは私と同じクラス名でした。
二人で探して、一緒にに教室に向かいました。
初日にあったEちゃん、彼と直ぐに友達になりました。
明るい性格のEちゃんに、人見知りな性格の私はずいぶん助けられました。
クラスにも馴染んだ頃、Eちゃんはだんだん登校しなくなりました。
そしてついに入院してしまったのです。
毎日遊んでいた私は毎日がとても寂しく感じました。
病院にお見舞いに行きましたが、多分一度だけだったと思います。
そして翌年の冬彼は旅立ってしまいました。
白血病でした。
彼は小学校横のお寺の墓地に眠る事となったのです。
だからしょっちゅう学校の様子を見にきていたのに違いありません。

春にまたクラス替えがありました。
私はそのまま同じクラス、担任になりました。
他にも同じクラスのままの男の子が二人いました。
でその中の一人がたまたまお寺さんの息子だったのです。
三人で話をして、Eちゃんの月命日にはお参りしようとなりました。
お寺の息子が線香を持参して、5年6年と毎月お参りしました。
この事は私の中ではほんと特別な意味があり、Eちゃんありがとうの思いでお参りしました。

伊那小学校には沢山の思い出があるんです。

学校敷地内を歩き、昔を懐かしみました。

 

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40年ぶりに伊那小学校に足を踏み入れた結果1

先日地元伊那小学校のバザーに行ってきました。
といっても目的はバザーではなく伊那小の地に足を踏み入れたかったんです。
卒業して40年以上ですからね。普段小学校なんか入れませんし
逆に入ったら怪しすぎるおじさんです、ただの不審者みたいな。

バザー会場は体育館です。第一と第二があり両方で開催
朝礼で長い校歌を歌わされたのが第一
懐かしい、ろくぼくが壁に作り付けてあるのが第二です。
懐かしくてバザーはそっちのけで校内をウロウロしていました。
当日は体育館だけでなく校舎も一部入室可となっていました

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 北校舎です。多分低学年の校舎かな。

ついでに学校の周りもうろうろしました。

正面玄関には大きな木があります。

なんでこんなに大きくしたんだと単純な疑問もわきます。
なんか懐かしい石碑があります、しかし周りは草だらけ
草に埋まりほとんど見えません。
なんじゃこりゃと思いながら通りずぎ
あれ?あっ!と思い出したのです。
慌てて戻って確認すると
昭和51年度卒業生 智仁勇学修とクラス名が刻んであります。
おいこれは我々が卒業記念に寄贈した石碑じゃんか
ひでーなこの扱い、ふざけるなよ!と思いました。f:id:hibiki45:20160901192344j:plain

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で週明けに伊那小に問い合わせをしてみたら
電話口で男性が
「あっあれは生徒達が蝶を呼ぶための物です」と
なにも入り口の一番目立つところを汚くしなくても、他でできそうな事だが。

ははーんと気付きます
もう全国的に有名な総合学習というやつです。
科目教科による授業ではなく、テーマを決めた進める授業
我々の頃にその最初のものが発案されたように思います。
確か下庭と呼ばれるグランドの片隅で、家造りなるものを行っていたクラスがありました。
で我がクラスは何をしたか全く思い出せません。
この当時まだ正式に始める前だったと思います
普通の授業の合間にあった特別授業みたいな物でしょうか
今は鳴らないチャイムも当然なりました。

この総合学習あまりにも有名なんですが、
調べてみると反対の意見ばかりが目につきました。
たしかに総合学習のなかで算数や国語等学ぶ事ができるとは思いますが
それと本来学ぶべき授業は違うのではないでしょうか。
中学に上がってから大変な事になるのではと感じました。

あっで先程の男性の方最後に
子供達と相談してみますと言っていました。
まぁとりあえず草を刈れ、そして先輩の残した石碑に気を使うのも総合学習だと思うのだが。

 

 

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祝日には国旗を掲揚しましょう!

押入れから国旗セットなる物を引っ張り出しました。

実は以前に発見していたのですが、肝心の国旗が無かったのです

今回は入れ物を明け全部出すとなんと無いと思っていた国旗が一番下から出てきたのです。

そして今回のシルバーウィークに金具を取り付け、国旗を掲揚する事にしました。

私が子供の頃、祝日には国旗を掲揚していましたが、何故かもう数十年行ってきませんでした

今回発見した国旗セットは子供の頃の物ではなく、それ以降購入した物でいつ誰が購入したかも記憶にありませんでした。

多分弟が購入して置いていった物ではないかと想像されます。

最近私の近所でも祝日に国旗を掲揚している家庭はほとんどありません。

日本はそういう教育をしてこなかったと言うか、雰囲気を作り上げてきたのかもしれません。

学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいる国ですから、教育する側の資質にも問題があります

また特定の国に支配されたマスコミを見ているとそちらの影響も大きいのではないでしょうか。

今回の安保法案の反対者のデモには日の丸が全くありませんでした。

なぜでしょう、いかにも沢山の国民が反対してデモをしているんだと伝えていましたが、実際は外国籍の人間もかなり混ざっていたと思われます。日本人の未来の為ではなく外国人の未来の為に反対しているとしか思えませんでした。

そして、シールズなる若い学生が立ち上がったとマスコミは誇らしげに連日伝えていましたが、この人達も中心メンバーは韓国系だとネットではばればれでしたね。安保法案が成立した後「選挙に行こう」コールに変わっていましたが、そもそも選挙権はあるんかいなと笑ってしまいました。

今年は戦後70年で、そろそろ日本人が日本人らしさを無くしつつある事に気付く時ではないでしょうか

マスコミに影響を受け、戦争法案と信じ込み行動する事も自由ですが、最低限日本人である事を証明しながら行動して欲しいものです。日本人でない人の行動は意味がないです。ここは日本なのです。

ここ最近アイデンティティが不明な行動が多くみられ、あたかもそれが正義みたいに取り上げられていたので、国旗掲揚の必要性を感じました。

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特定検診ですったもんだ。

市の特定検診に行ってきました、まぁ健康診断ですかね。普段は地域ごとですが、今日はフリーの日です。場所は市の保険センター、比較的自宅から近い場所です。受付開始時間が8時からでしたが、30分過ぎに到着しました。以前検診した時は敷地が小さいため施設前の駐車場が満車状態で、少し離れた場所へ停めたのでそのつもりでしたが、がら空きです。車が一台もありません。おい、俺一番乗り?そんなわけないだろと焦ります。そして施設内にも人の気配がありません、中に入り確認したら施錠されています。目が点です、何か勘違いしているのではと、案内書を確認。確かに今日になっています。建物入り口のチャンネル文字を見ると伊那保険センターと書いてあります。あれ、検診は市の健康センターだ、そう言えば数年前に移動した気もしました。市役所へ電話を入れ、確認してみました。当直が出て、合同庁舎を上り、神社の向かい側です。こう説明するのです。だからそこにいるが、建物の名前が違うし誰もいないと言うと、あーそうしたら旧中央病院の跡地のほうですと言われました。そんな程度です、市の職員も施設が移動した事は頭になく検診と言ったらこの場所が思い浮かぶみたいです。中病が新築移動したのはかなり前ですが、建物を壊し、健康センターが移動したのはここ数年の話です。案内書に場所を書く場合旧中病跡地と書くのが市民の立場に立った考えだと思います。流石はお役所仕事ですね。

慌てて旧中病に向かいました、そしたらありました健康センターが。駐車場も広いです。中に入ると簡単な案内があり、指定場所に行くと番号札を取るように書いてあります。それを取りました。数人が待っていてそこには椅子が二つだけ。後は入り口にある椅子にぱらぱらと座っています。暫く立って待っていたら、二つある椅子の内一つがあいたのでそこで待っていたら番号を呼ばれました。奥に行くとそこには大きな椅子があり待合スペースになっているのです。私が入る頃やっと職員が来てそこに誘導し、玄関スペースで待っていた人がようやくそこに入りました。説明がないので誰もそこまで来ないのです、せめて表示があれば。やはりお役所仕事です。

そんなん感じで、検診を無事すませ家路につきました。朝食を抜いたのは久しぶりでした(笑)

後酒飲みだからγの値が気になります。

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1990年サマーアクションシリーズ2伊那大会 8月のプロレスの思い出①

今から25年前の1990年8月27日に全日本プロレスサマーアクションシリーズ2伊那大会がありました。場所はユニー(当時)駐車場、屋外での試合となりました。いつもの友人とその同僚、私が当時勤務していた会社の社長婦人と観戦に出かけました。当時私は広告会社に勤務していて、その会社で製作し市内中に設置したすて看板(捨てる事を前提に出す看板、現在は禁止)が全日本のポスターの上に隠すように取り付けてあったとして、興行主からクレームが来ていました。興行主といってもまぁ親分さんみたいでした。最初はかなりな要求があったみたいですが、結局社長がチケットを数枚購入する事で話がついたみたいです。後日若い衆が会社にチケットを持って現れました。が親分さんと約束した数より多い枚数を持ってきたのです、多分自分のノルマも持ってきたのでしょう。社長はお見通しで、約束が違うと声を張り上げ、今ここで親分に電話して確認しろと迫ったのです。流石にそれはできないので、若い衆も諦めたみたいです。最後は覚えてろ!と捨て台詞を残していきました。社長は一般人ですが、百戦錬磨の人間です、そんな事では動じないのです。で、そのチケットを私が安く購入して友人の同僚に譲ったのです。私の分はとっくに手配済みでしたので。

この年の5月にプロレス界に黒船が現れます、巨大資本のメガネメーカーが立ち上げたSWSです。この船に天龍源一郎が乗り込んでしまい全日本プロレスはピンチとなり、新しい方向性を模索し始める時でした。その後四天王プロレスなる過激なスタイルを生み出し、やがてそれは悲しい結末を迎えるのですが、この時はまだそんな気配すらありませんでした。

そんな状況だったこの日のメインは鶴田、田上、井上対ゴディ、ウイリアムス、エリックです。25年経った今この内鶴田、ゴディ、ウイリアムスの3人は故人となっていて、他にも三沢、大熊、木村、ダグファーナス、そして馬場御大もいません。流石に時の流れを感じますね。

メイン終了後リングサイドで観戦していた私の前をテリーゴディが通りすぎました。手早に腕のテーピングを外して目の前に棄てていったのです。勿論記念に貰って帰りました。当時はゴディが使用していた香水の匂いがしっかり付いていました。未だに保存してありますが、もう良い香りはしません。逆に変なおいにいがすると思います。鼻を近づけた事はないので多分ですけど。

試合結果

15分1本

百田光雄菊地毅(時間切れ、ドロー)

タッグマッチ20分1本

ボビー・フルトン、トミー・ロジャース対リチャード・スリンガージョー・マレンコ

ロジャース(17分47秒片エビ固め)スリンガー

30分1本

ダグ・ファーナス対ザ・トルーパー

ファーナス(10分27秒体固め)トルーパー

タッグマッチ30分1本

ジャイアント馬場ラッシャー木村大熊元司永源遥

馬場(12分30秒片エビ固め)永源

タッグマッチ30分1本勝負

小橋健太、ジョニー・エース対リップ・モーガンリ、チャード・シャラン

エース(14分8秒片エビ固め)シャラン

45分1本勝負

三沢光晴(9分32秒エビ固めタイガー・ドライバーから)スコッティ・ザ・ボディ

タッグマッチ60分1本勝負

ジャンボ鶴、田上明マイティ井上テリー・ゴディス、ティーブ・ウイリアムス、エリック・エンブレイ

鶴田(15分31秒体固めバックドロップから)エリック

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私の何がイケないの?からの~。

昨日私の何がイケないの?が放送されました、その中に今年引退を決めた天龍源一郎が出演する 特別編・天龍源一郎、引退の真相もありましたが忘れていました。ネットに落ちていないか探したら直ぐ見つかりました。天龍の奥さん、まきこさんの名前は以前から知っていましたが、お顔を拝見するのは初めてです。しかし天龍を長い間影で支えてきた姿は立派ですね。遅かったとは言え気付いた天龍もこれからは奥さんの為に生きていく事でしょう。

この番組を発見し、天龍の部分だけ見て辞めるつもりでいましたが、なんとなく次の人も見てしまいました。あれ、網浜ちゃんじゃん。てことはさんちゃんも出るのかと思っていたら、出てきましたね。そして網浜ちゃんのあまりの男っぽさに驚きです。まぁそんなイメージはありましたが、ここまでとは。「ちっちゃい奴」そんな事言われて黙って耐えるさんちゃん、なんか人柄が出ていましたね。

さんちゃん、タレントの三四六さんは長野県ではお馴染みの方です。旧芸名は松山三四郎とも言い、松山千春さんから頂いたものです。元々物まねをしていて、同じく一時期物まねをしていた網浜直子さんと出会ったのではないかと推測されます。さんちゃんはFM長野のパーソナリティーを15年、長野朝日放送の駅前テレビを10年以上やっています。後に何かの本にもあったと思いますが、初期の頃は大分とんがっていました。はがきをくれたリスナーに喧嘩腰でしゃべっていたのを思い出します。なんだこいつ、偉そうで不愉快だな。私はそんな印象を持っていました。しかし時間が経つにつれ彼も反省したみたいで、今の謙虚で面白い人になっていき、支持するファンも増えました。また柔道は有段者であり、字も上手で文武両道のカッコイイおじさんです。そうそう、彼の本業と言うかメインはシンガーソングライターです。

私も以前駅前テレビのイベントでお会いしましたが、感じの良い、テレビのままの方でした。写真は2006年のものです。

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